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死ぬことを我慢する必要って果たしてあるんだろうか
自分の生を精一杯侮辱する方法としての生きる、と言葉で遊んで勇気が湧きそうなことを思いついてみるも、虚しい
こんな文ならかけるのに、意味のある実のある卒論はかけない
このブログを再稼働させようと思ったのは、分析家の先生から教わった二階堂奥歯さんの八本脚の蝶を知ったからです
のたうちまわって幸せになれないクソダサい私は、カッコよくなるためにやはり死ぬしかないのでしょうか
誰かが必死に生に抱きとめてくれれば私は死なずに済む気もするけど、なんだかその人の腕を汚すようで申し訳なくて、大事にしてくれそうな人から全速力で逃げ回ってます
私の身体じゃなくて、みてくれとかじゃなくて、もっと精神を必死に抱きとめて貰えませんか
労力使うと思うので、ローンか死亡保険で補償しますから
いやそれだとどっちにしろ死ななきゃだな
とりあえず、今日は大丈夫そう
ホットミルク飲んで、ちょっと卒論書いて、寝ます
明日なら頑張れるかもしれないと、まだ思えてるので