生存戦略☆生き抜けしばたちゃん

酔いどれ大天使しばたちゃんの自由帳

生き返し

今月の18日にお腹を刺します、と話したら分析家のO先生は好物を目の前に突き出された猫の眼で「そうですか」と笑った。

SNS上で、自分でメッセージを募集したくせに「死なないでほしい」という旨のコメントに勝手に辟易した私にとって、これ以上安心する反応は無かった。

好きにしたらいい。あなたが生存に苦しんでいることは重々伝わってくるから。

そのように私の苦しみ、生きづらさが受け止められてとても嬉しかった。

 

それは、小学校低学年から人生の半分以上をつかず離れずの距離で共にしている地元の親友Mも同じだった。
昼の仕事の倍を時給で貰う代わりに、華やかで派手な化粧をし無理に「女」役に徹して稼ぐ仕事をしていると、飲んだ酒の分だけ終電を待つ虚しさが強くなる。
酒と小便と一日を乗り越えた社会人のツンとした汗のにおい、同業の女性のキツイ香水の匂いが鼻をつくホームで電車を待ちながら、「死にたいんだよね。どう思う?」とMに数カ月ぶりにLINEをした。

Mは、すぐに返信をくれた。

「しばたが死にたいのはわかるし、苦しいのもわかる。好きにしなよ」

慰めも、止めもしない彼女の言葉に、きっちり終電の2本前に滑り込んできた私鉄に乗りながら嗚咽が漏れた。歯を食いしばって黒い涙が流れるのを耐えたら、ビール臭いゲップが漏れた。

 

 

その夜、夢を見た。

 

私は、一軒家である実家の、8畳の和室の中央にあるバスタブに浸かっていた。
畳と、L字に配置された障子越しにやわらかく刺す日光の他には何もない平穏な和室。バスタブの中は生暖かく、人肌より少し熱い温度でまるで母の胎内のように安心する温かさだった。
しかし、同時に不穏さもあった。
目が悪い代わりに嗅覚の敏感な私は、その不穏の正体になんとなく気が付いていた。しかしバスタブ内の心地よさにそこから這い上がることを辞めていた。それが正しいような気もした。

不意に、Mが現れた。
はじめからそこに立っていたかのように、肩まで浸かる私の頭の右側へ、自然に姿を現した。
裸でバスタブに浸かる私は、彼女を見上げた。

「      」

Mが何事か唇を動かした。それは夢に相応しい、鼓膜を揺する音は聞こえないのに重複した意味を伝えてくる不可思議な言語だった。
覚えているのは、「大丈夫?」「今助ける」「抜くからね」の3つ。ほかにもあと2つほどの意味を含んだ多重言語だったと思うが、思い出せない。

彼女は何のためらいもなく私のバスタブの栓を引き抜いた。
そこで初めて、私が使っているバスタブの中身に気が付いた。

それらは全て、経血だった。

私は他人より視力が著しく劣るが、嗅覚だけはとてもいい。
それは、生理中の女性の独特の匂いをかぎ分け、自分が具合を悪くするほどだ。

排水溝に吸い込まれ、どこかに流れていく大量の経血。透明な粘液と、そこに溶け込むどす黒い赤、鮮やかな赤‥‥。

人が肩まで浸かれるほどの経血。一体どれほどの年月が経てばそこまでため込めるのだろう。排水溝に粘着いた赤色の最後のひと巻きが流れ込んだとき、傍らにいた親友Mはすっと姿を消した。

私は粘着いた赤に汚れた自分の裸体を見た。障子越しの陽光は明るく、私の生白い肌とまとわりついた粘液を照らした。さながら、私は母の子宮から出たての赤ん坊だった。

 

 

「その夢について、少し整理しておきましょうか」

西日の射し込むワンルーム。真正面に腰かけた低い声が私に促した。
私は、母について語った。


その和室は、両親が一軒家を立てる際、母の母親、私の祖母が一緒に住むことを想定して300万を出資してわざわざ作った部屋であり、大きな窓が東北川と真南側、一日中日が当たるようL字に配置された清潔で過ごしやすい綺麗な部屋だった。
常に障子越しに差し込むあたたかな太陽の熱に蒸されて、畳が甘く香っている部屋。その匂いは今も、生理中の女性の首筋から香り私の子宮を収縮させる、キツイ女の香りを連想させる。

実家で最も長い時間、明るい部屋。私が小学生の頃、父がまだ単身赴任をしていた頃。小学生から中学に上がるまで。私だけがシングル、母と幼い妹が同じ布団で寝かせられ、夜ごと口惜しさと哀しさに枕を濡らしたその和室。

 

一言で言うならばその和室は子宮だった。母と、その背後に立つ祖母の、「母親」を閉じ込めた金庫であった。

経血に塗れ、信頼のおける他者により這い出ることを促された夢。

私は悪夢とは思わなかった。

むしろ、これまでの悪夢から抜け出せるような淡い希望をもって目を覚ました。

 

生き返し。再生。

私は、腹を切ることをやめたことを分析医に宣言した。

 

「先生、私は無意識下で生まれなおせたのだと思います。母と、正しく決別し、新たな関係を結ぶときが来たのだと」